各業界のトップランカーに聞く。自分の人生の創りかた【Oct No.2】

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「私の人生うまくいかない事ばかり」と嘆いてはいないだろうか。
多くの人が一度は感じたことがあるであろうこと、それは業界のカリスマも例外ではない。
今回は、彼らがどのような失敗や悔しさをバネにして生き抜いてきたのだろうか。
彼らの体験談とともに紐解いていく。

【登壇者紹介】
Salon du Crown 第2期
2017年10月2日㈪ 開催
@東京アメリカンクラブ

(スピーカー)
伊藤 羊一
ヤフー株式会社 コーポレートエバンジェリスト
Yahoo!アカデミア 学長
株式会社ウェイウェイ 代表取締役

白坂 亜紀
銀座 クラブ稲葉
オーナーママ

森本 千賀子
株式会社morich
代表取締役

(モデレーター)
金丸 美樹
森永製菓株式会社
新領域創造事業部
チーフマネージャー

【「挑戦」して「とことんやる」ことこそが人生である】

金丸 さて、今日のテーマ「Lead the self ~自分の人生の創りかた~」をもっと掘り下げていきたいと思います。

色々ありながらも自分らしい人生を作られていると思うのですが、人生の中で大切にされている事をお伺いしたいです。

皆様は職業柄、色々な方々を見られていると思います。

その中でも、自分の人生を生きてらっしゃるなという方とそうでない方の違いや、成功している方の人生の作り方があれば教えて頂きたいと思います。

白坂先生からお願いします。

白坂 私がとても大事にしている事は「挑戦」です。

先ほど申し上げましたけれども、バブル絶頂期で大人になりましたので、日本がイケイケムードという時代を知っておりますので、とにかく挑戦しようと決めてやってきました。

最初、大学生の頃初めて勤務したのが日本橋のクラブでした。そこで、雇われママになり、そこから7年程ママをやりました。

あとは、「とことんやる」という事です。

言葉は悪いかもしれませんが、その7年間はやるところまでやって、やり倒しました。

そこで限界を感じ、この先どうしようと考えた時に、やはり挑戦だなと思いました。

その日本橋のお店は後を継いで買い取って欲しいと言われていたのですが、このまま人生をここで終わらせたくないなと思っていました。

そんな矢先に、2つの大きな出来事がありました。

まず、阪神淡路大震災が起きました。

人生何が起きるか分からない、もやもやした自分のやりたいと思う事は挑戦して前に進まなきゃと思いました。

その年に、大リーグにいた野茂さんの会見での言葉に心を打たれました。

今でこそ日本人が大リーグに移籍したり活躍したりというのは当たり前のようになっていますが、その当時は、日本人が大リーグで活躍できる訳がないと言われ、周囲から猛反対されていた時代でした。

その中で野茂さんが記者会見で「僕は、とにかく大リーグに行くのが夢でした。人生は挑戦の連続です」と仰ったんですね。

その言葉に雷を打たれたような衝撃を感じ、この方はすごいな、道無き道、いばらの道を切り開いて行く、それが人生だなと感じました。

私は店を任されていて、収入的にも安定していたのですが、27歳の時に安定した生活を求めてはいけない、水商売の大リーグ、銀座に行かなくてはと背中を押されて銀座に移りました。

すでに収入が安定していて、いよいよ子供の事を考えようかなという時でしたので、とても勇気のいる決断でした。

崖っぷちに立って落ちる勇気がないので、後ろに自分で回って、自分で自分を崖から落とすみたいなそんな感じでした。

今思えば、その勇気を振り絞ってよかったなと思いますし、色々な経験を積むとその時の決断は大した決断ではなかったと思います。

そういった決断や挑戦の連続を経験して、まだまだこれからもそのような挑戦をして生きていきたいなと思います。

金丸 ありがとうございます。

【躓いたとき、原点を振り返れば、進むべき道が見える】

金丸 次に、森本千賀子さんお願い致します。

森本 私は、キャリアと向き合いながら25年間仕事してきたのですが、本当に突きつけられた経験も多かったです。

子供を持つ母親の方なら皆様分かると思いますが、13年程前に、長男が生まれた時に、本当に息子が可愛くて、本当に幸せの日々を過ごしていました。

私の母は子供を育てながら仕事を365日する人でしたので、私も出産で会社を辞める選択肢は全くありませんでした。

基本的には、子供を預けて昔の仕事場に戻ろうと思って、3ヶ月の我が子を保育園に預けに行きました。

その時の事は今でも忘れられないのが、最初に保育園に預ける時なのですが、園内に響き渡るくらいに子供がギャーっと泣きまして、私を恨めしそうに見て、僕を置いて行くのかというような表情をされました。

そんな中、後ろ髪を引かれながらも、振り切って保育園を出たのを今でも覚えています。

私も涙が出て、預けたくて預けたというより仕事に復帰する為に保育園に預けたのですが、そこまでやる仕事ってなんなのかなと本当にキャリアや仕事を考えるということを突きつけられました。

このような仕事をしながら毎日考えていたのですが、突きつけられた瞬間というのは、ちょうどそのタイミングです。

半日ほどずっと考えていた時もあり、私はなんの為に仕事をしているのだろうか、私にとって大義とはなんだろうか、仕事を通して成し得たい事はなんだろうとその時に思いました。

そもそもこの仕事をやろうと思った理由やこの仕事の意味、自分の存在価値などをぐるぐると頭を巡らせていました。

その時、ふと思い出したのが、先ほどの図書館のお話ももちろんですが、もう1つこの転職エージェントを始めようと思ったキッカケがあります。

私の父が、小学生の時に脱サラをし、小さいのですが会社を経営しておりました。

私は父が大好きだったので、中学生の時も、高校生の時も時間があれば父の会社でアルバイトをしていました。

ただ中小企業なので、とにかく様々な事に苦労していました。

その中でも1番苦労していたのが、なかなかいい人材を採用できないという事でした。

やっといい人材を採用して定着してきたと思った途端に、辞めて独立してしまう。父親はそんな事をずっとボヤいていました。

そして、私が就職する時に父の背中を思い出し、父のような中小企業が世の中には多いので、そのような相手に仕事をしようと思いました。

父を応援するという事は、中小企業を応援する事だと感じ、それも父が1番苦労していた人材にフォーカスした仕事をして応援しようと思ったのと、図書館での出来事が見事にシンクロしました。

そのような事がありまして、その当時メジャーではなかった分野の会社に入社したのが原点になります。

そのタイミングや出来事をこれが原点だったなと思いだしました。

正直、それまでは自分がブレていることもありました。でも、その時からブレなくなりました。

出産してから、どんどん私は強くなってたなと、ちょっとやそっとの事ではブレなくなりました。

伊藤 それはおいくつくらいの時の話ですか。

森本 ちょうど14年前ですので、30うん歳頃ですね(笑)

そのような時って、色々な事に出会うんですよね。

たまたまその後、図書館に行ったのですが、そこで1冊の本に出会いまして、そこにはサンタクロースの話が書いてありました。

サンタクロースのAチームとBチームがありまして、Aチームのサンタクロースはクリスマスになったらプレゼントを届ける目標を課せられます。

Bチームのサンタクロースには、クリスマスになったら子供達にプレゼントを届けて笑顔にする事というミッションを与えられました。

配り終えた時にどちらのチームのサンタクロースが「よし、来年も頑張ろう」と思えるかという違いが書いてある本に出会いました。

リクルートとは、目標管理が非常に厳しい会社です。私は営業だったので、毎月のようにいくらいくらという数字が課されます。

それまで、達成という事が念頭にあり、ある意味それがモチベーションソースになっていまいした。

そこで、MV等を目指していたのですが、そうではないんだな。それだと続かないんですよね。

そうではなく、私にとっては何の為にという大義やミッションが大事でした。それが無いと、私は頑張り続けられないというのがその時に分かりました。

そこからは、ただ目標を追いかけるのではなく、ミッションをひたすら見ていたら、目標は後からついてくる形に自然に変わりました。

それもターニングポイントでした。

伊藤 なんか、大変失礼ですけれど、「達成!」とかっておっしゃってそうですもんね。

森本 常にハチマキな感じで、達成しない時は無い勢いで、部下にも言っていた事はありました。

そこから大きく変わりましたね。

金丸 仕事を続けるとか子供の存在など、突きつけられる瞬間に自分を振り返る事が出来たんですね。

森本 本当にそうですね。

【自分が絶対に譲れない価値観や主張を問う】

伊藤 野茂さんの会見は、僕もソファーに座っていて見ていたんですよね。

あの時も、銀行員だったのですが、27歳って僕が鬱から解放された翌年なんですね。

だから、働くのが嫌とか、その原因がとんでもなくて、毎日同じ格好して、満員電車に乗って、スーツ着て上司におはようございますと言うのが嫌だとか、そのような感じでどんどん嫌になっていきました。

26歳の時がそのような感じでした。

そこから復活し、なんとか仕事ができるようになったんですね。でも、その時って「働いてていいんだ」ぐらいにしか思ってなかったです。

一生懸命働くのですが、成長が遅れちゃったから頑張って働くぞ、っていうレベルなんですね。

仕事してみるとあんまり怖くなかったり、成績出るなって思って働き始めるのですが、まだ全然目覚めて無いわけですよね。

全然目覚めてなく、会社の指示に100パーセントの答えを出すところまでは頑張る感じで、それが2011年まで続きました。

そして、キャリアに一貫性がありませんでした。

金融機関からのメーカー・流通、営業から物流、マーケティングと、一貫性がない中でやってきました。

官僚的に仕事をしていく中ではあったものの、自分の中で蓄積されたものが溜まっていきまして、爆発の準備は出来ていたと思います。

たまたま私は東日本大震災というキッカケがありまして、覚悟を固めることができました。

10数年間普通に仕事して、蓄積がなかったら、気付くものは何もなかった。

僕は蓄積があったから、自分のミッションみたいなものに気付けました。

そこから、自分の軸みたいなものが無いから、軸を作ろうと自分の大切にしたい想いを人為的に作りました。

3つの行動規範です。

・心を自由に
・迷ったらワイルドな方を選ぶ
・ポジティブにガンガン行く

これを決めて毎日唱えました。最初は心の底から思えなくても、毎日毎日唱える。

その3つをどうやって作ったかというと、その時にリスペクトしていた方の言葉です。

1つ目は経営共創基盤の冨山和彦さん、2つ目は現在ヤフー社長の宮坂学、3つ目はサムライインキュベートの榊原健太郎さんが言われたこの3つの言葉を決めて、毎日唱えるようにしました。

これが行動指針になるのですが、これだけではあまりうまくいきませんでした。

やはり人為的に作ったので、自分の本当の心じゃないんですよね。今は自分のものになっていますが。当時は、自分の素直な思いとは、ギャップはありました。

そして、自分で教育がしたいと思って転職したわけではなく、誘われたので、転職しました。改めて、なんでだろうと。

なんでヤフーでもグロービスでもほかでも、教育をやっているかと自分に問うた時に、ある人に、あなたの絶対に譲れない主張とはなんですか、と聞かれました。

それを考え、ひょっと「人は変われる」と出てきたんですね。

自分がヘタレから復活したという過去の経験があって、すっと出てきた言葉だったんですね。ああこれだなと。だから教育なんだなと気づきました。

今、自分の仕事のベースになっているのは「人は変われる」です。

今まで、プラスの仕事で、人が営業しやすくなるような環境のお手伝いをしていたのですが、直接的にやろうとしてやっていたんだなと考えると、自分の思っている価値観が結果として仕事になっていたことに気づいたんです。

なにが言いたいかというと、自分が絶対に譲れない価値観や主張というのを問う事が大事だという事です。

人生1度きりだから挑戦する想いは、自分自身の経験から来ていることだし、僕自身、白坂さんが野茂を見て、よっしゃ頑張ったるぞと思っているのと同じ頃、サッカーの三浦カズがデカビタのコマーシャルで輝いているのに、俺は会社に行けなくてゲーゲー吐いている、同い年なのに悔しいぞ、だから頑張るぞと思っている状況でした。

そこから、自分が変わることができた経験が、自分の大切な想いを作ってきたなとここ2年くらいで気づいてきました。

よく考えてみたら、今教育の仕事をやっているけれど、天職かもしれないなと改めて思っています。

今まで、大切な事ってなんですかと聞かれると、色々言っていたんですが、。

一番大切なことは、「人は変われる」っていう思い。これは心の底から思える。

48歳ですよ。48歳で気が付いたんですよ。

(続)


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人は変われる

人は変われる【Oct No.3】

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