山ごもり、市役所職員、人材派遣…。波乱万丈な人生を経て、辿り着いた価値観、使命感 【Nov No.1】

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「波乱万丈な人生」と呼ばれる人は多いが、牧野仙以知氏もその1人ではないであろうか。
”強運”と”信念”を胸に農業に突き進む1人の男性の人生をお届けする連載初回。

【登壇者紹介】
Salon du Crown 第2期
2017年11月6日㈪ 開催
@DIAGONAL RUN TOKYO

(スピーカー)
牧野 仙以知
株式会社マイセンファインフード
代表取締役社長

丸山 孝明
農業プロデューサー
株式会社代官山ワークス 代表取締役社長
株式会社グリーンストーリープラス 取締役
北海道食べる通信 プランナー

(モデレーター)
金丸 美樹
森永製菓株式会社
新領域創造事業部
チーフマネージャー

金丸 美樹氏(以下、金丸) 本日はお集まり頂きありがとうござます。

今回は「食」にまつわるゲストを二人お呼びして、懇親会でのお食事もお二方にまつわるものを用意しております。

それでは登壇者の方のご紹介をさせて頂きます。

マイセンファインフード取締役社長の牧野仙以知さんと代官山ワークスの丸山孝明さんです。

牧野 仙以知氏(以下、牧野) 皆さんの前に立って緊張しておりますが、簡単に自己紹介をさせて頂きます。

株式会社マイセンファインフードの牧野と申します。

なんと読むのですかとよく聞かれるのですが、ほんまの字は仙一で、星野仙一と一字違いで大違いというくだらないギャグをいつも言っています。

私は、昭和32年、1957年生まれで御座いますので還暦で赤いチャンチャンコを息子からプレゼントされたといいますか、赤いベストで来てもおかしくないです。

実は、私はろくに学校も卒業しておらず、高校卒業していわゆるお医者さんの道に進んでいたんですけれど、ちょっと違うかなと思いましてスピンアウトしてしまいまして完全なプー太郎をしておりました。

親はずっと泣き、お袋は泣き通しでですね。帰るたびに色々と言われてまして、私は山に篭ってました。今は世界遺産になっていますが、大峰山系の700メーターから1000メーター級の山にずっといました。

そこで言えば、世間体のいい人生を歩むことを前提に生きていたのが、全然違うところに行ってしまったもんですから、人生観がポンと変わってしまって、人間は茶粥と梅干しさえあれば生きていけるとよくわかった青春時代でした。

さすがに親が「ええ加減に帰って来てくれ」という事で、ある日帰ったら机の上に地元の市役所の願書が置いてありまして、「なんやねん、これ」と。

「こんなのいかんぞ」と言いましたら、「試験だけ受けてくれればいい」と。

それで試験だけ受けましたら通ってしまいまして、「俺、辞める」と。

そうしたら、「頼むから、そんな事言わんでくれ」と母親に言われ、「俺、学校出てないから、そんな学歴社会嫌や」と言いましたら、「今は違うねん」と言われ、一応、田舎の長男坊なので、親戚一同に行ってくれ行ってくれと言われました。

入所して、辞令をもらったその日に辞表を出したんですわ。そしたら、課長がこんなもんもらえるわけがないと怒るんですよ。

なんで辞表を出したかといいますと、辞令が同期よりも階級がずっと下だったんですよ。

同期は僕よりもずっと年下で、学歴社会はないって聞いていたから「なんで」と人事課に聞いたら、「高卒なんかが入ったのは12年ぶり」と言われたんですね。

おお、高卒で悪かったなと。

辞めてやるわいと辞表を書いたら、こんなもん受け取るわけないだろと課長のとこに持っていけと人事課で言われ、課長のところに持っていきました。

その課長がまたできた人で、同じ姓の牧野という課長だったのですが、当時第二次オイルショックの中で就職口なんか無いわけで、競争率も48倍ありまして、「あのな、お前1人のせいで48人泣いているんだから、3年くらい辛抱してくれ」と言われました。

早く髪の毛切って明日から研修行ってこいと言われました。当時、髪の毛が肩までありましたから、市役所もようそんなもん採用したなと思いましたね。それで、散髪して研修に行きました。

それで色々とありまして2年6ヶ月で退職させていただいて、次のところに行きましたが、その間の2年間程ブランクがあります。

何をしていたかというと今の嫁さんと小さな商売をしておりました。

子供が生まれ、飯がなかなか食えなくてですね、知り合いの公認会計士の先生が、うちに来いよと言ってくださいまして、「俺、人の帳面見るなんて嫌ですよ」と言ったら、「色々と困ったクライアントいるし、お前色々と出来るし手伝いやってくれ」と先生に言われました。

今で言うところの人材派遣をやろうという事です。当時、人材派遣は潜りですから。

それは面白そうだねとやったはいいのですが、派遣する人間を大ぴらに募集できなので、自分も一緒になって派遣されたという事です、

そのあと、クライアントの一つだった会社から新しい会社をやりたくて、どうしても来てくれという事で、次の会社に行くことになりました。

主に食器を扱う小さな地元の商社でした。

まぁ当時はバブルでしたし、仕事も嫌ではなかったので僕は一生そこにおるんやろうなと思ってました。

私の家では、母子家庭と言われてました。家に帰らない男。

1ヶ月のうちの1日だけ家に帰ってあとは全部出張でした。

ほとんど家に帰らず、さすがに嫁はんが怒ってました。いつからうちは母子家庭になったんやろうかと。

という事で、株式会社マイセンを平成4年の25年前に作りました。

当時は、農業をするには有限会社しかダメだったんですね。資本金300万円という小さな会社を作り、部下もいませんでした。

嫁はんの方が大きな事業をやっていたので、嫁はんの事務所の一角にスペースを借りて、悪いけどって机を置かせてもらい事務員さんんも兼務していただいて、農業の会社を作りました。

そして、今から4年前の平成26年に農産物の加工をする株式会社マイセンファインフードを立ち上げて現在に至ります。

なので、今は二つの会社の代表をさせていただいております。

色々と人生ありましたが、波乱万丈で今も結構楽しませていただいております。

今言ったようにマイセンという会社を始めた時は、母子家庭だったものですから、それはしません。これからは、家にいます。

農業がしたかったわけではなくて、環境ビジネスがしたかったわけですが、農業をやらせていただいた。

それなりの報酬があって、役員までさせてもらっていたので、それまでの仕事を辞めるのは勇気がいりました。

辞めるのをどうしようかなと思っていて、当時、お米を生産しようと思っていのですが、お米って統制品だったんですよ、許可制です。

勝手にお米屋さんを開くことができなかったのですが、たまたま鯖江市で公的な募集が1件だけありました。

これは、福井県知事の許可制で、知事のところへ申請を出して、抽選会で選ばれるというとんでもないものなのですが、会場に行ったら50人くらいいるんですよ。

そのお米やさんと色々な人がいて、皆さんお知り合いなんでしょう、その中に1人だけポツンといて皆さんにジロジロ見られて、「なんやあいつ」って感じでしたね。

まず、くじ引きの順番を引くと35番でとても当たらないだろうと思ったのですが、私の番まで回って来まして、当たりまして、「皆さんご苦労さん」というくじ運で会社を作っているバカでございます。

私は、今小さい会社ですが、農業をやっております。

その中で、我々は「私たちは安全で安心できる食べ物を通じて、世界の人々に健康と豊かさを提供していきます、そして未来の子友達から授かったこの大地を守っていきます」という使命を心に決めてやっております。

一つだけ、お百姓さんは先祖代々の土地と言うのですが、それは糞食らえです。

それは、田んぼなんかはマッカーサーから貰った土地だと思うんですよ。それまでは小作だったわけですよ。それが、マッカーサーが農地解放してくれたおかげで我々の所有になった。

しかも、先祖が耕した土地は、色々な区画整理を経て、ブルドーザーで耕されて四角い田んぼになったわけですよ。なので、先祖の土地というものはほとんどないわけですよ。

私は、そうではなく、環境を含めて未来の子供から預かった土地なのではないかなという思いで農業に取り組ませていただいております。

金丸 ありがとうございました。1年前くらいに牧野さんに出会って毎回同じ話も聞くんですけれど、その度に胸がジーンとしてしまう方なので、ぜひ皆さんにと思って福井県から来ていただきました。

(続)

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