きっかけは「人との縁」。ふとしたことから農業の素晴らしさを知った【Nov No.3】

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初めから万人に受け入れられるモノを作ろうとしていない。

牧野氏と丸山氏。

共通点は”誰かのためにやっている”ということではないだろうか。

二人のビジネスのキッカケに迫る連載第三回。

【登壇者紹介】
Salon du Crown 第2期
2017年11月6日㈪ 開催
@DIAGONAL RUN TOKYO

(スピーカー)
牧野 仙以知
株式会社マイセンファインフード
代表取締役社長

丸山 孝明
農業プロデューサー
株式会社代官山ワークス 代表取締役社長
株式会社グリーンストーリープラス 取締役
北海道食べる通信 プランナー

(モデレーター)
金丸 美樹
森永製菓株式会社
新領域創造事業部
チーフマネージャー

<友人の一言から、自身や家族の体験を経て「食育」にのめりこんでいった>

金丸 お二人とも波乱万丈な人生を歩まれてきていますが、その中で、食や農に携わっている期間が一番長いと思います。何を思って携われているのか、また今感じている課題はなにか、を教えていただけますでしょうか。

牧野 私は、農業の世界に入りたかったわけではありません。

皆様もご存知かもしれませんが、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」という古典的な名著があります。日本でも公害の問題や環境問題を取り上げた本がいっとき話題になっていまして、私もそれを拝見しました。

当時は札束を持って銀座をフラフラしていた馬鹿者の太鼓持ちみたいな生活をさせられていたので、こんなアホみたいな生活は嫌やというのと、先ほど言った母子家庭だったということで、なんとか家に戻ろうという事を思いました。

環境ビジネスという切り口で何かをしようとゴミ処理機まで考えたけれど、誰もそんなものにお金を出す人はいなかったので、まず農業は環境に良いと信じて入りました。

信じたのですが、実際はそうではなく、見事に裏切られます。

だけれども、ある時に友人がやってきて、玄米を分けてくれやと言うんですね。僕は「どんな精米機を使うんだ」と聞いたんですけれど、「いやいや、玄米食をするんだ」と。

そこで「え、玄米って食べられるのか」と当時25歳で恥ずかしなが、玄米が食べられることは知りませんでした。

友人がたまたまガンになり「もう俺は死ぬねん」と威張りくさってましたが、僕は玄米がガンに良いのだと知らなかったから、そう言われて、素晴らしさを教えてもらいました。

今でいう「食育」ですね。

その祖は、石塚左玄という福井県出身の人がいらっしゃいまして、食の大切さ、「和」と「洋」の良いところを取り入れた食が一番大事で、そのベースになるのが玄米食でした。

「君のところの玄米は農薬等を使っておらず安心だから、欲しいんや」と言われ、自分も玄米の素晴しさを知りました。

自分が知ったからには試さんと気が済まない男ですから、自分も玄米食に切り替えて食べっていったわけですよ。

当時、僕は体重86kgありまして、はっきり言って豚でした。股下もウエストも86ありまして、全部86の男でした。病気がちだったのですが、それが全くしなくなりました。

親父は甘いものが大好きな人で、饅頭の餡子だけを食べるような人で、糖尿病になって目がやばくなっていました。

それで、糖尿病の人にもいいんだぞって家族みんなで玄米食に切り替えて、親父から薬を取り上げたのですが、しばらくすると見事に糖尿病も治り、子供達も元気になりました。

食という字は、人を書いて良いと書きますから、まさしく人に良いのが食なんやなと分かりまして、これはもっとみんなに教えたい、玄米食の素晴らしさをもっともっと知って欲しいと思って、加工食品に手を出しました。

初めは、玄米のお粥を作ったのですが、どこへ売っていいかわからないレトルトのワンパックのポーションのものを作ったのですが、スーパーとか思いつかないでエステサロンに営業しました。

食べたら痩せると思ったからエステサロンに行くわけですが、当時のナンバーワンはエステdeミロードという全国に157店鋪あるところに行ったんですね。

そこで、うちは化粧品だけで、食品なんか扱った事ありませんと言われました。

「まぁ試してみてごらんなさい、なんなら30人の人に1ヶ月テストしてみてください」と言って、実際にテストしたら、本当に痩せたんですよ。

皆さんは施術とかで外から痩せられるかもしれませんが、内側からも痩せられますよという事で、全国の店長会議を4日間飛び回って説明したんですね。

そうして、販売を開始したら、1ヶ月で3万食づつ売れたんですよ。

えらい売れて企画した人達が大喜びしまして、僕も月に3万食も売れるもんだから、嬉しそうにして在庫たくさん抱えていたんですね。

ある時に、お昼にNHKのニュースを見ていたら、エステdeミロード倒産って出てきて、「なんじゃそりゃ」という感じですよね。

金丸 また、波乱万丈な感じですね。

牧野 余った在庫を皆さんに配って、僕自身も毎日それを食べていたらまた痩せてしまったというおまけ付きで、やっぱり食は大事だなと思いました。

そうして、お粥の他にも色々な食品を作るようになって、パンとか麺とか今は、ベジタリアンになったので、ベジタリアン用の肉の代替品まで作るようになってしまったというのが私の経緯でございます。

<東日本大震災で農家に触れ合ったことがきっかけ。「食」を作っている農家へ尊敬の念を>

金丸 丸山さんは元々農家の息子さんということは大きいとは思いますが、やってみてこれが一番長いのはどんな経緯でしょうか。

丸山 キッカケは震災だったのですが、僕の中で本当に衝撃的だった事がありました。

震災の時に、陸前高田市に炊き出しに行ったのですが、当時、農家さんが毎日食材を運んできてくれていました。

僕は、2週間ほど小学校で炊き出しをやったのですが、なぜこんな人たちが世の中底辺と言われるのかなと。

そもそも農業高校って頭の悪い奴が行くところ田舎では言われてませんでしたか。でも、そもそも「食」を作っているのは彼らだよなとその時に気づかされました。

そこで、彼らの為になにかしなきゃなというのが、一つのキッカケでもあります。

金丸 会社を辞めて起業した日に震災があってホームレスになったけれども、やっぱりこれだなと思ったのですか。

丸山 やっぱり人の役に立ちたいなというのが究極に農業でした。必要とされないと人って生きててなんなのかなとなると思います。

(続)

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