「人」との関わりこそ、邁進するエネルギー源【Nov No.4】

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“自分にしか出来ない事”と聞いてなにを思いつくだろうか。連載第四回では、やりたいことを自分にしか出来ないことにしていった二人の人生の軌跡を辿っていく。

【登壇者紹介】
Salon du Crown 第2期
2017年11月6日㈪ 開催
@DIAGONAL RUN TOKYO

(スピーカー)
牧野 仙以知
株式会社マイセンファインフード
代表取締役社長

丸山 孝明
農業プロデューサー
株式会社代官山ワークス 代表取締役社長
株式会社グリーンストーリープラス 取締役
北海道食べる通信 プランナー

(モデレーター)
金丸 美樹
森永製菓株式会社
新領域創造事業部
チーフマネージャー

<人の「死」と真剣に向き合うと、「食」に行き着く>

金丸 お二人は色々なことがあってもエネルギーを感じるんですね。そのエネルギー源ってどんなところなんでしょうか。

丸山 自由に仕事って選べるじゃないですか。

それを制限しているのは自分で、僕は「彼らの為になんとかやりたい」という使命感があったので、それが自分の生活がどうなっても構わないと思ってしまったのですね。

金丸 突き動かされるみたいな感じですか。

丸山 そうです。

脳裏のどこかにランドセル背負って稲刈りや草むしりした昔の記憶が鮮明にあるんですよ。

それを持ったまま、震災を迎えて、生きるってなんだろうと思いました。

我々って今、「死」と遠いじゃないですか。人身事故が起こっても、電車止まると思うくらいじゃないですか。

でも実際に人が亡くなっている可能性もすごく高いのですが、そういった世の中がおかしいなとと僕は思っています。

田舎に行けば、動物も人も死ぬので「死」と近いのですが、都会ってその距離が圧倒的に遠いなと思ったので、そういう人たちを諭したり、「食」に飢えている都会の人たちになんとか正常なものを提供していきたいなということです。

金丸 どちらかというと、生産者さんとかの地位をあげると言ったら言葉が悪いかもしれませんが、もっとその人達の大切さやかけがえのなさを伝えていきたい、と。

丸山 やっぱり農業って「きつい・汚い・かっこ悪い」の代名詞だと思うのですが、まずそこから変えていかないとダメだと思います。若い人が農業に向いてくれない。

また、農業もIT化が進んでいて、僕が生まれた頃とは変わってきている。そこの可能性を非常に感じております。

<消費者に価値あるものを提供できた「繋がり」に突き動かされる>

金丸 牧野さんはいかがですか。

牧野 僕は、今の会社を作った時が、34歳でした。もう最後のチャンスだと思い、転職も会社を潰しもしないぞと思い会社を作りました。

どうせやるなら誰もしてない農業したいな、と。

お米って今も当時も刈り取ったら乾燥させるんですね。

乾燥機という、要は灯油のバーナーの炎で乾燥させて水分を飛ばした後に玄米にしていく。けれど、僕らが子供の頃は、太陽熱で天日乾燥させていたんですね。

あれは美味しかったし、ゆっくり乾燥しているからお米に種の実というのがあって芽がでるんです。

バナーで急激に乾燥させたものは非常に発芽率が悪い、僕はあれは本当に食い物なのかなと思っていました。

僕がやるからには、親父にはこっぴどく怒られましたけれど、効率悪くてもいいから天日乾燥させたかった。

その為に、自分で設備考えて、京大の先生に相談して作ったんですよ。当時は、年間売り上げが1千万しかないのに、1億8千万というどでかい借金をしました。

国からの補助を当てにしていたんですが、そういった許認可するのはJA。最初はいいよと言って起工式もして着工もした、その日の夜に急にお金出せませんと言われたんですよ。

もう、「ワォ」でした。

田んぼも埋めて、綺麗に整地したのにお金出ない。すでに手付金に1千万も借金で払っていてたんですよ。

もう仕方ないから、知り合いの銀行の支店長に頼み込んで、俺の保険証でも命を型にしてでも金を貸してくれと頼み込みました。

当時は、まだバブルの名残が地方では若干残っていたので、どうにか1億8千万円借りて、とにかく最初の1年は借金返さなあかんでした。

それこそ、夜も昼も働き通しでした。

あるとき、それも少し落ちついてきて、僕は学歴でも差別されてきたので学歴に対するコンプレックスもすごくありますし、丸山さん仰ったように農業ってすごく馬鹿にされているんですよ。

僕が田んぼで農作業している。はっきり言ってそんな綺麗な仕事じゃありませんよ。

これは決して忘れもしませんが、俯いて作業していたら、そこに親子連れが通っていかにも当て付けがましく道の上から、「見なさい、勉強しないとあんな事もしないといけないの」って親子連れのお母さんが言うわけですよ。

「おぉ、悪かったな」と思うわけですよ。

悪いけど、俺はお前の親父より稼いでるけどと思いましたけれど、それは置いといて、そんな地位の見下される事もありコンプレックスの塊なんですよ。

とにかく地位も向上させたい、借金も背負ってその二つでやってきて、色々な食品も加工して。

ある時に僕ドーナッツも作りました。玄米の粉を使って、ドーナッツを作った時に僕の知り合いのお菓子屋の社長に見てもらったんですね。

僕は焼きドーナッツは体にも良くて、すごくいい物ができたと思っていたんですよ。

そしたら一言、「牧野さんは、いつからそんな菓子屋になったんや、こんなの菓子屋が作るもんで、あんたらがいつも言っている健康にいいものと違うやろ」と。

卵も入っていたし、小麦粉も使っていたんですね。

「じゃなくて、あんたしか出来んもの作らなあかんやろ」と言われ目が覚めました。

それで、卵や牛乳、小麦粉も使わないアレルギーの人でも食べられるようなものを作りなさいよと言われました。

それに目をつけた伊勢丹さんが催事で採用してくれて、相模大野から伊勢丹さんで催事の2週間後に行ったら、子供さん連れのお母さんが来てうちのドーナッツをずっと見ているわけですよ。

裏面に何が入っているか見て、「本当に卵とか小麦粉とか使っていないんですか」って。「使ってませんよ、だから安心して食べられますよ」と言って、買って帰ってくれたんですね。

そうして、次の日から毎日ママ友を連れてくるわけです。「ここよ、ここ」って。

みなさんアレルギーの子供さんをお持ちなんですよね。

その方達が常に毎日来てくれて、毎日売り切れでした。補充しないといけないくらいよく売れました。

「あ、俺みたいな百姓は今まで馬鹿にされてやってきたけれど、やっとここで人に喜んでもらうことが出来たかな」と思いました。

そうやって待っている人達がいるんなら、僕達も頑張っていけるなという想いが消費者の方と繋がった時に、もっと頑張ってみようかなと今も思っております。

(続)

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